釉掛け(ゆがけ)

 7月1日は、御頭屋(夏祈祷=なつぎとう)でしたので、料理等作らねばならず、日曜であるにもかかわらず、早朝からの釉掛けとなりました。

 今回使用した釉薬は、3種のみです。白萩釉、透明釉、Bマット釉です。少しづつ、釉の微妙な性格が明らかになってきたので、個展を目標とした3回の本焼きは、それぞれの回で、釉の組み合わせを変えた作品を詰めることにしたので、初回は、こんなものです。2回目は、黒天目を中心に30度上を上限とした結晶釉の焚き方をしてみる予定。3回目は、ごちゃごちゃかもしれない。

 私の釉掛けは簡単です。素焼きをした作品をコンプレッサーのエアガンでほこりを吹き飛ばし、じゃぶっと適度な釉の厚さと、雰囲気に一気にかけて、はいおしまい。失敗して、つけすぎたところは、削り取るのみ。絵付けも掛け分けもほとんどしません。あとは、窯変で景色の出るのを待つのみ、窯任せです。

 不器用で横着者ですので、きっちり、細々したものを作ってみてもそういうのが得意な人にはとうてい及びません。芸術品ですと、一定の標準というか、評価のラインみたいなもののはやりすたりが時代毎にあるようで、そういうのを目標に努力しないといけないようですが、こういう陶芸をやる人が、たくさんいる時代、嗜好品として売る分には、好きに作り、自分の気に入っているものをそういうものが好きな人に使ってもらえればいいかと割り切っています。

 もともと芸術畑の勉強をしていないので、芸術の評価の仕方はよく分かりません。たとえば県展あたりの話ですが、粘土を掘ったものや買ったものでブレンドし、60Bクラスの大皿を挽き、自分で作った草木の灰を中心に配合したマット釉を薪の窯で42時間かけて結晶釉の燃やし方で焼成してうまくできたと思える作品より、買った粘土のみを大皿や、大壺は挽けない程度のろくろ技術で茶碗にし、市販の釉薬を使って灯油窯で焼いた作品の方が評価されれば、結局、技術的な面では 評価された方に対して評価されなかった方はハンデはないのですから、フォルムというか、色合いの好みというか、そういう芸術性の方が作り手として勝ってないと思うしかありません。だけど、そういう感性の部分は、若い内は、変化も大きくあるでしょうが、今の年齢で、自分好みのものを作る条件を何年もかけて揃えてきてみて、変化させよと言われても、時間も、設備投資の資金ももう無いわけです。本人は勉強して変われても、それにあわせての作品を作る条件は整わなくなってしまいます。

 ということで、現在は、釉薬の組成もほとんど気にせずアバウトで作り、基本は押さえた(つもり)のやり方で工程を進めるものの、焼成記録さえつけないやり方の、出来たものが気に入ったら使ってや、状態となっています。現在はです。

 釉掛けしたものは、ほこりなどがかからない内に、焼成室に せんべや ころを使って窯詰めしていきます。おおよそ、どの作品がどこにはいると炎の通りや融け具合のいい釉薬がかかっているかは、素焼きの時あたりをつけているので、場所にあった釉薬をつけては、下から奥から窯へ詰めていきます。

 1日から6日の朝にかけて次々と、釉掛けしては棚板の上に並べる窯詰めを繰り返し、焼成室の口をしめたのは10時半でした。その後、妻が母の入院先へ見舞いに行ってくれる間に子守をしながら食料の買い出しに行き、いない間のカレーなどを作っておき、夕方5時、着替え、食料、飲み物を積んだ車を窯場に移動。シャワーを浴びすっきりしたところで、ちょこちょこ移動に便利な軽トラに乗って「窯焚き」へと、いよいよ出発です。・・・本焼きは無事終了しているのですが、体調が戻っていないので報告は次回続きをお楽しみに。

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