窯焚き 本焼き2

 この時期の窯焚きの場合、二日目の日程は、暑さとの戦いとなります。窯そのものは、正面にいない限り、そんなには、熱くありません。ただ、日中の気温が、高いために、窯に薪をくべたときの放射熱が、次に薪をくべるときまでに、発散してくれないのです。

 7月7日は、天気予報では、大雨ということで、気温は高くないだろう、湿気がむしろ汗の蒸散を妨げるので、弱ったな、と考えていたのですが、実は、おおはずれ、カンカン照りなうえに前日の雨で湿気も多い、という最悪の環境でした。前日夜の御神酒も残っており、ひたすら、お茶を飲み、地面に横たわるという繰り返しです。

 地面は、土間です。この段階では、まだ、新聞紙を広げ、その上にごろんとしています。焚き口から、詰め口にかけては、緩やかな登りのスロープで、ここに横になります。傾斜があることで、足を踏ん張らないと、ずって行くので、眠ってしまいにくいのと、いざ立ち上がるとき、そんなに腹筋を使わなくて良いからです。なお、ソファーもありますが、二度ほど、ここで横になってホントに寝てしまい、火が小さな熾きになってしまっていたことがありました。温度も100度くらい下がっていました。他の窯でしたら、割れをだしていたかもしれません。保熱率の高い窯で、良かったですが、寝てはいけませんね。

 午後12時の予定は、700度です。が、今回は、時間にして、1時間半分、早く上がっており、775度でした。だいだい、この辺りは、攻めの段階でもあり、素焼きもしてあるので、予定より早く、自然に上がってしまう分には、コントロールをあまりしていません。1時間半の余裕なんて、ちょっとした窯のぐずつきで、アッという間になくなります。

 午後四時、山本刀匠が現る。と、いうか、今回は、都合が悪そうだったので、駄目かな、と思っていたので、大変、嬉しかったです。地獄に仏とはこのこと。根性入れてこれからの14時間を考えていたところでしたので、ホッとしてしまいました。5分ぐらいで、明珍さんの奥さんが、来られました。久保刀匠のお弟子さんの奥さんです。初めて来られました。比婆郡西城町から。

 沈黙と忍耐の窯焚きは、一転楽しい、「明るい陶芸」になりました。が、窯がぐずり始めてしまいました。4時にそれまでのペースを維持して、975度になっていた温度が上がりません。午後6時に1000度の予定が、1030度あたり、それ以後1050度を超えるのに1時間半かかり、やっと普通のペースに戻ったかなとホッとしたのもつかの間、1150度になると、二度目のぐずりがはいってしまいました。

 窯をついて、最初の頃は、心配になるほど順調に設定の1240度まで、上がっていたのですが、人に貸して、設計最高温度が1240度だといってあるのに、窯というのは、そうではいかんといって、1370度まで上げて、何回か焚かれてしまい、すっかりゆるんだ窯は、こういうぐずりをするようになりました。が、先輩陶芸家でもあり、その場ではっきりと駄目出し出来なかった自分の責任です。

 9時を過ぎて森定さんが来てくれました。町内の近くの方で、母の同級生でもあります。町の公民館活動で、一緒にしております。その後は、1220度あたりまで上がり、時計は、12時を少し過ぎていました。

 ここから、ダンパーが、きかないので、ロストルからの空気の流入をできるだけ落とし、焚き口も焚くたびに塞ぎつつ、午前5時45分、最後の薪を投入。6時煙突の口、焚き口、ロストル口、ローソクの穴など、全ての穴を塞ぎ、窯焚き終了です。6時15分になっていました。

 ひたすら、予定どおりの36時間。愛想なしで終了しました。

 こののち、森定さんは、大豆を植えると去られ、3人+妻で、ごくろーさん会として、焼き肉を食べ、解散しました。山本刀匠、明珍志穂さん、森定さん、ありがとうございました。


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