古墳整備事業・・・古墳調査
Shujitsu.23 号墳 
Shujitsu.23号墳は、申し訳ない古墳の一つです。
就実校地標識の直ぐ側に有った古墳なのに気が付かなかったのは、私の手落ちでした。
5号墳と6号墳の間が85mもあるのは変だなとその時も思いながら21号墳〜23号墳を見逃した事は残念でなりません。
一応今までの調査で20号墳まで確認しておりますので今後も起こりうることですが、前の№は変えず、発見ごとに順次№を付けたいと思います。

Shujitsu.23号墳は古墳の輪郭は残しているのですが、何か障害物があると気がつかない事もあるほど痕跡の少ない古墳です。

玄室
Shuijitu23_01
玄室部 d=2.50m w=80m h=計測不能。
天井石その他、殆どの石材も存在しません。
Shujitsu.6号墳から12mほど5号墳よりです。

これは想像ですが、度重なる地震で崩壊した石材は後の世に、鳥池の護岸に利用された可能性があります。

 
Shuijitu6_02
Shuijitu6_03

これも余談ですが吉備津岡辛木神社の西側の操山95号墳(前期の竪穴式)は乱堀され石材も殆ど有りません。
田畑の灌漑用溜池である鳥池の堤防に土も同時に利用された可能性があります。
それ程、操山南の山麓に暮らす人々には、貴重な水だったのでしょう。
操山全体に言えることですが、南面には数多くの小さな溜め池が見られます。
この水は山麓に暮らす人々には命を繋ぐ水であり、農作物に欠かせない水だったと想像します。
今より1400年前までは吉備の穴海が現在の倉安川辺りまで迫り、魚貝類は豊富に捕れたと思いますが、飲料水と野菜の栽培は操山からの僅かな水に頼るしかなかったと思われます。
鳥池の水は長い水路を通り麓の海吉の人々の生活用水に使われたように思われます。